我が家にやってきたビーグル
今から約10年前のこと。
出かけたさきで入ったホームセンターで、「ペットフェア」というものを実施していました。
よくある、子犬や子猫を展示して販売しているようなものです。
買い物のついでに入ってみたのですが、そこで1匹のビーグルの女の子を見つけました。
ペットショップのお兄さんが言うには、
「この子は、顔は可愛いのですが気が強くて、ずっと吠えているので、長い時間外に出せないんですよ」
とのこと。
確かに、とても可愛い顔だったのです。
しかも、その性格が災いしてか、値段は当時ビーグルが売られていた一般的な価格の半額以下でした。
値段につられたわけではありません。
ただ、ちょうど私はビーグルの女の子を捜しているときだったのです。
というのも、その1年ほど前に、高校時代から飼っていたビーグル系の雑種だった愛犬を亡くしていたからです。
「しばらく犬を飼うのは控えよう」
という意見も、家族の中では出ていました。
しかし犬がいない生活というのが寂しくて、やはり飼いたいと思っていたところだったのです。
「こんなに気が強くては、なかなか飼い主も見つからないかもしれない。初めて犬を飼う家庭には向かないんじゃないかと思うくらいに気が強い。うちで飼ってはどうだろうか?」
と家族に提案してみたところ、意外にもすんなりOKが出ました。
もしかしたら家族も寂しいと感じていたのかもしれません。
一週間後、その子犬は我が家にやってきました。
ビーグルにとっての「攻撃対象」
我が家にきたものの、そこからが本当に大変だったのです。
想像以上に気が強い女の子でした。
ぬいぐるみを見れば果敢に戦いを挑みますし、エネルギーが尽きることなく何時間でも戦い続けます。
しかも、なぜか彼女の中では私も「攻撃対象」だったのです。
朝は5時に起きて食事と散歩、夜も散歩、と世話をしているのは私だったのですが、とにかく「私だけに」反抗的でした。
寝不足と疲れで、よく悲しい思いをしたものです。
私には反抗的なのに、何故か配偶者には甘えてばかり。
配偶者の腕の中でぐーぐーと眠っているのを見て、悔し涙を流したことも数え切れません。
それが子犬のころだけならともかく、なんと2年以上も続いたのです。
「待て」や「おすわり」「伏せ」などの基本動作は完璧です。
ただ、私に対して反抗的なだけで。
それをどうやって改善したらいいかわからず、
- インターネット
- 本
- ドッグトレーナー
- 獣医
- 警察犬訓練所
など、いろいろなものを読んだり、相談に行ったりしたものです。
そんなあるときでした。
家の近所に、ドッグランができていたのです。
ストレスも関係しているのだろうか、と、さっそく会員になり、時間がある限り、犬をドッグランへ連れて行きました。
しかし家の犬は、あまり走るタイプでもありません。
終日地面のにおいを嗅いでいることもありました。
ただ、ドッグランに来るほかの犬の中に、致命的に相性の悪い子が何匹かいたのです。
相性が悪い子が来ると、走っていって出迎え、そのまま乱闘です。
そのつど、犬を抑えに走ったものでした。
飼い主さんもおおらかなかたばかりで、少しくらいの喧嘩は気にもしません。
そのため、喧嘩しながらも、楽しくドッグラン通いをしていたものです。
よその犬と喧嘩になり流血になったとしても「じゃあ今日は帰るか」という程度のものでした。
乱闘になるたび止めに行くため、私もよく怪我をしたものです( ̄∇ ̄)
それは急にやってきた!
ある日、めずらしく、我が家の犬が、1日中ひとりで走り回っていたことがありました。
夕方になり、疲れたらしい様子の犬が珍しく私の近くに寄ってきたのです。
どうしたんだろう、と見ていると、そのまま私の膝にのぼり、抱っこの状態でぐーぐーと寝始めたのでした。
私に抱っこされて眠ったのは、その日が初めてで、正直ひどく驚きました。
それまでは「私にだけ懐いていないな」と感じることが多かったのです。
それがまるで子犬のように眠っているので、かわいらしく感じましたし、感動しました。
もしかしたら、ドッグランでの喧嘩を止めに入っているうちに「この人は家族で、頼ってもいい」ということが理解できるようになったのかもしれません。
犬の気持ちはさっぱりわかりませんが、その日以来、私に対して反抗的な態度をとることはなくなりました。
それからさらに数年が経ち、今では、すっかり甘えん坊です。
大きな病気で手術をしたあとは、1日中、私から離れませんでした。
子供のころあれだけ甘えていた配偶者には、それほど甘えなくなりました。
もう大人というよりも老犬に近くなり、白髪も増えて、だいぶ穏やかになりました。
緩やかに年をとっていく姿を見て、「手間の掛かる子ほど可愛いというのは本当だな」と実感しています。
気が強すぎることで、かなり苦労もしましたし、悩みました。
それでも、あのとき「この子を飼いたい」と考えたのは間違いではなかった、と感じています。
今はただ、少しでも穏やかに年をとってくれることを願うばかりの毎日です。